ことばとおんがく

ライブは明日に迫っているのだが演奏する新曲の歌詞がいまだに書けない。書かなくてはいけないと昨晩は机にノートを広げてつらつらと書き連ねたが、というか書き散らして掃除もせずそのまんまといった感じ。明日からは同期演奏も行うので気分転換も兼ねてそのためのプロジェクトを作っていたら朝の6時になっていた。俺は歌詞を書くのが非常に苦手である。

「同じテーマをいかに様々な形の詞にできるかというのが作詞能力である」という様なことを言っていたバンドマンがいるが(そもそもバンドマンなんていうフワッとした身分のものが語るなとも思うが)それでいえば私はどっちだろうか。テーマは大体同じなんだが言い方が違う。って言ってもいつも書くのに苦しんでるし、自分で読み返すと稚拙だし、何言いたいのかわからないし。普通に作詞は下手だと思う。

現代のいわゆる「ライブハウスを中心に演奏される邦ロック」には曲以上に歌詞が求められているというのは明らかであろう。メロディより歌詞、共感。さらに言えば音楽よりも人そのもの。その中で私はチヤホヤされることを欲し活動をしているわけだが、そもそも(今は)私は歌詞なんてそんなに重視していない、というか歌詞は減点要素になる場合が多いと考えている(つまり歌詞がわけわかんない場合はプラマイ0だけど明確にダサかったら-10)し、稀にいるとんでもなくかっちょいい歌詞を書く人々との歴然な差を自覚しているのでそこまで良い歌詞を書くということに力を入れるのは得策ではないということを思ったり。つまりこの方向性のままだと私の作る曲が大衆の支持を受けるというのはなかなかに大変なことなのではないかと思ったりするわけなのです。

しかし(俺の考える)「明確にダサい歌詞、大したオリジナリティもないが共感・エモーショナル云々に振り切った歌詞」を書くバンドが自分より圧倒的に大衆の支持を受けているという現状。しかし自分が「ダサい」と思うことはしたくないという。難儀やね。これはそもそも「カッコイイ音楽、革新的な音楽」と「人々が聴きたい音楽」というものは全然違う(というか「俺が良いと思うもの」と「人々が良いと思うもの」が乖離している?)ものであるということにもつながっているのだろう。

 

 

えーーーーーーーーここまで描いたことをそのまま歌詞にできるのならしばらくは困らないと思うのだけれども、歌詞はただの散文とは明確に違うし、私が歌詞と曲だったら曲の方を重視している、というか歌詞は曲の一部でありそこから分離して考えることはないので、言葉を選ぶときにはリズムが一番大事な評価基準となる。歌を歌って「つっかえる」感じがあればそれは歌詞としてあまり好きではない。それが一番大事だし一番大変。だから机の上で文章を書いてても歌詞はできない。実際に歌いながらじゃないと難しい。ここでつっかえてずっと歌詞が書けない!助けてくれ。というかバンドマンなんていう大して教養もないしそんでもって音楽も勉強してない奴が語るな!

殺すぞーーーー!!!!!!(ってなんでSUSURU TVが!?)

 

10/19@KYOTO MOJO

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10/20@KYOTO MUSE

Re:cycle

Morbid Sloth / Anomaly / Akane Streaking Crowd / センチメンタルリリー

open:18:00 / start:18:30
ADV.¥2,000 / DOOR.¥2,500 1D別¥600

※チケット各バンド取り置き