冒頭の文章は布団に寝転びながら書いています

俺は残念ながら幸福なことにうつ病でもないし発達障害でもなければ家庭が複雑なわけでも頭が悪いわけでも容姿が醜いわけでも貧困なわけでもなくて、何にもないわけじゃないんだけど何でもない人で、それでもただ俺は俺なりに頑張るしかねーんだと思う。

と呟き俺は立ち上がる。風呂に入る。

風呂は嫌なことを沢山思い出す。シャワーを浴びている時は「ひゃー」とか「死にたいね🎵死にたいね🎵死にたいねん🎵」とか「セックス!」とか叫んでる。

風呂から上がる。

子供が欲しくない人が日本の若者の56%を占めているっていうソースが不明瞭で母集団に偏りがありそうなニュースをTwitterで見る。なんか変にシニカルというか「自分は理性的な文明人ですよー」みたいな人多くない?まあ人の勝手か。

そんでTwitterで今日の嫌だった出来事を言ってみた。言ってから「俺がこれを言うことで誰かを傷つける」って気づいた。でも見栄が勝ってツイートを消せなかった。いや、やっぱ今からでも消そう。消しました。何だかスッキリした。後輩にリツイートされてたけど消してよかった。ふー、なんか心臓がドキドキしている。

バンドをやってる友達とか年下の知り合いが最近曲を出したりMVを出したりしている。俺は見ないし聴かないしリツイートしない。できない。凹むから。俺はなんてダメなんだろう。俺のやってることはいつ評価されるんだろう。だから最近音楽聴かない(特に歳の近い人が作ったもの)。それでもSNSは見るから友達とかが褒められてたり楽しそうなイベントに呼ばれてるのはいやでも知ってしまう。だから一回だけあったくらいのバンドの知り合いはミュートしてたりする。本当にごめんなさい。ラジオかお笑いを見よう。そして見てたチャンスの時間でCOWCOWの多田が「M1見ない。苦しくなるから」って言ってて「こんなおっさんになっても苦しいのか」と絶望した。あの苦しさを俺まで思い出してしまってウッとなった。

 

嫌なこと思い出して嫌なもの見て嫌なこと思い出してたら日付を超えてて最悪だ。俺にはまだやらなくちゃいけないこと沢山。ベース練習しないと。

俺は残念ながら幸福なことにうつ病でもないし発達障害でもなければ家庭が複雑なわけでも頭が悪いわけでも容姿が醜いわけでも貧困なわけでもなくて、何にもないわけじゃないんだけど何でもない人で、それでもただ俺は俺なりに頑張るしかねーんだと思う。と俺はベースを練習し始める。

 

電車男

関西でいいと思われてるバンド、女の子に人気なバンド、特にミナホ出てるバンドで俺が良いと思うバンドマジで全然ない。インスタントなポップネスという牌を取りに行くシャバいだけのバンド、沢山いる。きめー。テメーの歌にテメーがいねーじゃねーの。テメーの汚い内臓を何の重さもない言葉でコーティングしてんじゃねーよ。侘び寂び無し。アメリカで作られた馬鹿用の菓子。陰翳礼讃を読め。

ただこれは俺の音楽の趣味が狭いだけ、と保険をかける。保険会社の面接で「私も会話に保険をかけまくるので…」と言ったら滑ったし落ちた。

頭を振ったり足をあげたりステップを踏んだりステージに転げてみたりするバンド、沢山いる。そん中でガチなヤツらは全然いない。と俺は思う。「それは本当のあんたか」と、予定調和のアクシデントなんではないかと。

ただこれは俺の、

俺は誰に言い訳をしてるんだろうか。

12:44京阪特急淀屋橋行きにて、空は薄膜を張った青さ。

 

愉快な文章

あかんちょっと最近大変すぎる。完全にキャパを超えてる。全部が上手くいってない。去年の夏の体調崩す前と同じ状況になっている。寝れない。

楽しいことを是非書いていきたいと思っております。

そや、自分の加害性に目を向けず(それが本当に気づいていないのか)ずっと自分が被害者みたいなスタンスを取る人、もうええて。これバンドマンばっか目につくけどどうなんだろうね。

This is 愉快な文章。現在5:20。

あってよかった

今日はサークルでライブをやった。久しぶりに集中しすぎて頭痛くなった。toe

出番が終わったらすぐ帰った。ごめんなさい。家に帰ってミックス、マスタリング、勉強、夕飯、歌詞のっけ(暫定)で1日が終わった。

才能も努力も頭も金も時間も覚悟も敬意も何もかもが足りない。全部が間に合わず回らず。最近被害者面してばかりだったが周囲を不快にさせていた加害者は俺でしたという指摘。そして俺以上に苦しみもがき努力し大きなことを成し遂げた友人のSNS投稿。俺は傷つきやすいとかそんなんじゃなくてただただ怠惰なだけでした。部屋が荒れているのも心の不調ではなくただの怠惰でございました。と、どんどん顕になる俺、人間。そんな最近。

俺の好きな人が俺の音楽ではなくベットカバーの音楽に、おとぼけビーバーの音楽に魅力を感じ足を向け金を落とすこの現状に泣きたくなる情けなくなる今日この頃の生活。

もういらないと思っていたが、明後日のカウンセリング、予約しておいてよかった。あってよかった。

皆さんの「あってよかった」はなんですか?

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開け

「お前ら演奏は上手いんだからあとはお前が曝け出すだけやろ」
よくライブを見にきてくれるおじさんに言われた。あたしは自分を曝け出してるかは知らんけど自然にいるつもりだった。しかしそれは曝け出すとは違っていたのでした!(なんだって〜)

それは2月のある日のこと。その日はライブをして企業の説明会なんかに行って頑張った日だった。疲れた夜に俺は部屋で一人。誰かと飲みに行きたいと思った。が、しかし、誘う人が思いつかなかったのである。LINEの友達を眺めてみたが誰に連絡をすることもできなかったのである。「この人は俺のこと好きじゃないだろう」「この人と何を話せばいいんだろうか…」色々と考えて誰も誘えませんでした。
ツイート、ストーリーを見てなんとなく知り合いがいそうな木屋町へと自転車を走らせた。俺は「思いがけない出会い」を演出することによって飲みにいく知り合いを見つけようとしたのである。夜の河原町通は日曜日といってもあまり活気がない。下って下って木屋町の駐輪場にチャリを停めた。とりあえず木屋町の公衆トイレに行く。いきなり隣に知り合いが立ったで。俺はスルーした。声をかけられなかった。トイレを出ると知り合い(顔見知り)がいたが気づかれないようにマスクをして下を向いて歩いた。そして誰にも気づかれることなく高瀬川の喫煙所に行った。本当に、俺は、何をしているんだろう。30分くらい木屋町の辺りをうろうろして誰にも会わず、どこの店にも入らず、チャリに乗って元来た道を引き返す。俺は泣きそうだったからラジオを聴きながら帰った。

俺の周りの知り合いは友達が多い気がする。それはやっぱり本音で話せているからなんじゃないかと思う。俺は友達が少ない。飲みに行ける人が少ない。そりゃ本音で話せないやつは面白くないよね。俺は飲みに行ける友達が欲しいです。できればたくさん。いつでも誘ってください。他力本願。

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ドネルケバブ屋さん

曲ができない。いい曲ができない。これはもう、何のために俺はおるのか。

前に進む、止まる、戻る、戻る、進む、止まる、止まる、戻る。

俺には才能がない。努力をしなくてはいけない。できない。愛嬌もない。誰にも認められず好かれない。洗礼名が欲しい。

被害者ヅラをやめて本を読んで音楽を聞き音楽を作れ。話はそれからである。インターネットから離れて曲をかけ。アルバムを出せ。

どうにかするには死ぬしかないがどうにかするつもりは毛頭ない。無様にも貴様は快にしがみつきそれを手に入れるために足掻く足掻く。無様だなぁ!

就活辞めたい。

新快速に乗って

ノーと言えない日本人というかノーと言えない俺、イエスって言っちゃう俺。どこがイエスなんだ馬鹿野郎。己のイエスに首を絞められている。しかしながら自分に鞭打つではないがイエスと言ってみることで無理矢理にでも物事が前に進んでいくということもあるだろう。たまにノーと言ってみるんだけども実はノーって程でもないんだなこれが。だけどもやっぱり俺のイエスの裏には必ずノーがあるんだな。泣いているようで笑っている、笑っているようで泣いている。その倒錯が滑稽でもあり切なくもある。滑稽でもあり切なくもある、映画でも音楽でもなんでも結構この類のものを好き好んでいる私だが「自分に近いから」なんて理由でこれらに魅力を感じているならばそんなダサいことはない。

頭の中で同じ考えがぐるぐる回る。ショートしかけている。なんであの時イエスと言った、イエスと言わなかった、イエスと言わされた、イエスと言ったことで実は俺は損をしたのではないか。ショートしたとて周囲の人間の生活はなんら変わらないだろう。悔しー。残念ながらいじめられっ子が自殺をしたとていじめっ子らが自身の生き方を顧みるかといえば全くそんなことはないのと同じことである。
遠くへ行きたい。知らない街を歩いてみたい。どこか遠くへ行きたい。あの曲が頭に流れる。休日に旅番組を放送するのはみんな本当はどこか遠くへ逃げ出してしまいたいからなのだろう。ラッキーなことに俺は休学中の大学生、気力があれば、あとは金が足りていれば少し遠くへ行くことだってできちゃうのである。できるだけ遠くへ、そうだ、海を見に行きたい。京都駅までチャリを漕ぐ。着いたはいいが駐輪場を見つけるのに7分くらいかかった。だがそれを停められさえすればこっちのもんである。うん番線に新快速がやってくる。この「播州赤穂」ってのは一体どこなんだろうか。すごく遠い街だろうが海はなさそうだ。お足元にご注意ください、とりあえず乗りこんで。窓側の席に座る。景色がビュンビュンと流れていく。こんな鉄塊とぶつかったら俺はひとたまりもないだろう。やっぱり飛び込んだら痛いんだろうか。それとも一瞬で意識を失うから痛くないんだろうか。思いっきり絆創膏を剥がすみたいに。こんなことを考えてその度に怖くなる。目を瞑って頭をブンブン振る。時速130km、京都から大阪まで30分程。新快速に乗る時の気持ちは海を見る時と似ているかもしれない。圧倒的な敗北感。己の矮小さ。あまりにも自分が弱すぎて笑えてくるくらい。圧倒的な敗北は自分を縛り付けている価値観からの開放へとつながっている。頭の中を何周もしている悩みをぶっ飛ばす。もしくは、もしかすると新快速と一体化した気になっているのかもしれない。まあ事実一体化しているのだ。自分自身もこの地球上を130km/hで移動しているのだ。全能感やその類のものを感じているのだろうか。こんな愚かな思考でも新快速に乗ってる時くらい許してくれ。だいじょばないけど大丈夫ってこういうことなんかな。

一年前も新快速に乗って海に行ったことを思い出す。流れる景色に忍者を走らせて遊んでいたら夏は終わって冬が来てそしてこの夏になっていた。新快速はすごいねぇ、なんせ京都から新大阪まで30分しないんだよ。何度も繰り返される俺の話に退屈しても大丈夫、なぜなら新快速から見る景色に飽きることなんてないから。何を見ているんだろう。その瞳には何が映るんだろうか。あたしゃ瞳の住人になれるんだろうか。はたまた瞳に映らないんだろうか。まあ今は住人じゃなくても別にいいんだが。君はこんな気持ちの悪い思索に気づかなくていいんだ。ただ気づかないうちに俺は君の視界を傍受しようと企んでいる。

俺の人生に永遠はない。絶対もない。絶対大丈夫だなんて言えたらどんなに格好良いだろうか。いつだって保険をかけたような喋り方をしてしまう。きっと、多分、おそらく、だと思う、とも言える、かもしれない…。この世で不幸なのは俺だけだなんて思うほど馬鹿じゃない(思いたくもなるが)。君だって君なりに苦しんで悩んでいるのだろうし。だけど大丈夫なんて俺は言えない。できることと言えばせいぜい背中を摩ってあげるくらい。

そんな君は新快速からの景色を見て何を思うんだろうか。君と僕は違う個体だ。もちろん回路だって違う。俺がラーメンを食べたいと思っている時、君はチョコザップに行きたいと思っているように。そして違う人生を歩んでいる、これまでもこれからも。ただ、だからこそ俺と同じように感じていたのならそれはとても素敵なことだと思う。そうだったならばこう言いたくなる気持ちもわかってくれるだろう。

どこまでも行こうぜ。永遠も絶対もない。けれどもどこまでも行こう。そう言ってみよう。

俺はたまに調子に乗ってこんな恥ずかしいことを言ってしまう。