開け

「お前ら演奏は上手いんだからあとはお前が曝け出すだけやろ」
よくライブを見にきてくれるおじさんに言われた。あたしは自分を曝け出してるかは知らんけど自然にいるつもりだった。しかしそれは曝け出すとは違っていたのでした!(なんだって〜)

それは2月のある日のこと。その日はライブをして企業の説明会なんかに行って頑張った日だった。疲れた夜に俺は部屋で一人。誰かと飲みに行きたいと思った。が、しかし、誘う人が思いつかなかったのである。LINEの友達を眺めてみたが誰に連絡をすることもできなかったのである。「この人は俺のこと好きじゃないだろう」「この人と何を話せばいいんだろうか…」色々と考えて誰も誘えませんでした。
ツイート、ストーリーを見てなんとなく知り合いがいそうな木屋町へと自転車を走らせた。俺は「思いがけない出会い」を演出することによって飲みにいく知り合いを見つけようとしたのである。夜の河原町通は日曜日といってもあまり活気がない。下って下って木屋町の駐輪場にチャリを停めた。とりあえず木屋町の公衆トイレに行く。いきなり隣に知り合いが立ったで。俺はスルーした。声をかけられなかった。トイレを出ると知り合い(顔見知り)がいたが気づかれないようにマスクをして下を向いて歩いた。そして誰にも気づかれることなく高瀬川の喫煙所に行った。本当に、俺は、何をしているんだろう。30分くらい木屋町の辺りをうろうろして誰にも会わず、どこの店にも入らず、チャリに乗って元来た道を引き返す。俺は泣きそうだったからラジオを聴きながら帰った。

俺の周りの知り合いは友達が多い気がする。それはやっぱり本音で話せているからなんじゃないかと思う。俺は友達が少ない。飲みに行ける人が少ない。そりゃ本音で話せないやつは面白くないよね。俺は飲みに行ける友達が欲しいです。できればたくさん。いつでも誘ってください。他力本願。

最近思ったこと。みんな生き急ぎすぎや。俺より若い子の自殺とか。ツイッター見てたら中学生の子が「高校入る前に絶対整形する。なんか言われたら喚き散らして発狂してでも云々」みたいなことを言ってた。俺はそれ、生き急ぎすぎだと思う。結論を今出さなくてもいいのにと思う。だがしかし、君が今とても苦しいということ、それがなんの正しさも持たない世の中のおかしな基準によるものだとしても、その苦しいということは「ガチ」なのだ。嘘ではないということが難しいとこである。君をバカだのチョンだのということは簡単だし俺も気持ちよくなれると思うのだがそこまで俺は自分のことを正しいとは思えない。
整形に関するメチャクチャ個人的な所感なのだが整形をすることによって失われる良さがたくさんあると思う。変な例かもしれないが君は鼻が小さくて高くて目が大きくて乳輪が小さくてお尻が小さくてでもおっぱいが大きな女の子を理想とするかい?(もしそうなら俺は君を迫害しようと思う)まあそういうことですわな。好きなAV女優が整形して「あー…そっちではないんだよなー…」ということが往々にしてある、私には。だから僕が出会ってきた数少ない女の子たちよ、勝手な考えなんだけど君たちはそのままでいいと思うんだな、みんな違ってみんないいと思うんだな(これは本当に)。俺は女の子ってみんな可愛くてすげーって日々思ってます。だから自分を大事に、心を大事に。それは強さが必要になる分大変なんだと思うけど。その辺はCHAIでも聞いてもらえればと思います。
自分の話だけど中学の時俺は自分の一重瞼がめちゃくちゃ嫌で自分の顔が嫌いだったんだけどなんでかいつの間にか「自分の顔、悪くないやん?」と思えるようになりました。何故かはわからないけど。だから答えを急がないでほしい。人間は雑魚なので価値観なんてものはすぐに変わったりします。
俺、現代人に感銘受けてる奴とか「現代人(経営者とか?)の名言」とかめっちゃ浅はかできめーとか思うんだけど一個めちゃくちゃ好きなのがあって。「生きている限り、バッドエンドはない。僕たちはまだ途中だ」っていう。本当にそう思うし、俺が創作をするときの前提としてあるのがこれだなと感じている。この世はクソだと思う日はもちろんあるしそんな日ばかりなんだけどバッドエンドと決めつけるのはあまりに浅はかだと、だからわからないなりに「世界は総じて言えば悪くない気がする」という保険をかけた言い回しで世界の素晴らしさを言ったりするわけですわな。

 

あとコンサルはバブルが弾けて会社が倒産してそこにいる奴ら全員路頭に迷います。俺はそんな未来が見たいので生きていこうと思っています。あと復帰後の山田亮一のTwitterがキモい。
みなさん、お体に気をつけて。