AVってほとんど飛ばしてみるけどカットがたくさんあってもそれはそれで嫌

AVって基本一発録り、の割には長いので飛ばしがちだけどめちゃくちゃ編集されてても萎えますよね。誰に響くかわからない、自分たちでさえ存在価値を考えてしまうようなシーンばかりだけどきっと誰かに届いてると信じて2時間の超大作を作る映像会社の皆さん、ありがとう。

最近は囲碁将棋のラジオが好きです。

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いつまで持つだろうか

なんだかまた手にできものが出来てきた。やっぱあれなんだろうか、ストレスですぐ出来ちゃうんだろうか。健康に、健康に、穏やかに。

こんなんでこれから社会でやってけるんだろうかと思う。頑張れない。が、今までみたいにどうにかなっていくはずだ。どうにかできるはず。

最近過眠、過食、倦怠感、寒気、胃腸の不調(ジョイマン)を感じるんだけどインターネッツで調べたら明らかに「あれ」でわろけた。なんか久しぶりに面白かった。一人でいると暗い方暗い方に考えてしまうから、疲れるけど外に出て人に会おうと心がけている。だから会おうって言ってくれるのはありがたいねー!(山口コンボイ

言葉を残すことで自分を客観視できて初めて自分の気持ちに気づけることもある。だけど言葉と心は双方向のものだから言葉が心を作ることもある。俺は最近自分の言葉に呪われがちなのかもしれない。このブログを書くことでその呪いをより面倒なもんにしてきたかもしれない。自己顕示欲が膨れ上がって「表現者」仕草してる若者は己の物語を悲劇へと仕立て上げたがる傾向にあるが、俺の心のことを考えれば何も脚色なくそのままを書き示して、恥ずかしげもなく未来を望んでいた方が良いのだと思う。

やっぱ一人になるとしんどいしまだ音楽も聞けないんだけどずっとそうってわけじゃなくて、友達に会ってる時は嬉しくて憂鬱を少し忘れられる。だからまたいつでも遊びに行こう。

みんな健康で幸せに、いつまでも不安なく楽しく。っていう半分嘘で半分本当なこと。

【五反田無料案内所】五反田で愛される韓国料理屋でブクロが語りすぎた夜 - YouTube

最近の生活はさらばのYouTube見るのが一番楽しいかも

 

日本発狂

なんかもう無理だ。ダメみたいだ。クソみたいなバンドが評価されるのを見るのが苦痛で仕方がない。そしておれの作る曲、やってることはそれら以上にクソに思える。クソ同士がクソみたいにしょうもない自己顕示バトルをしてる中で世界はどんどん進んでいってせかいはどんどんすすんでいく。そりゃ、無理だよ。絶対サマーソニックに行った方がいいしフジロックに行った方がいいよ。クソバトルの顛末をみる必要なんてない。俺にしかできないことなんかないよ。お粗末な作品をオリジナリティって言葉でどうにかするのはもうやめよう。みんな騙されてる。俺は騙している。いや俺は騙せてもいないか。だからいつかみんな周りからいなくなるんだろうなって思う。俺は俺のやってることがカッコいいって全然思えない。だから最近いっつも不安だ。演奏したあとはずっとやな気持ちになる。恥を晒している。俺がいかにカッコ悪いか。かっこ悪いからかっこいいとかそんなんじゃ無くて普通にかっこ悪い。もう最近嫌だ。嫌だよ。無理だよ。しんどい。助けてー。だれかー。意識的にバンド以外のこと、どっかに行こうとしたり、映画を見たり、ラジオを聴いたりするけれど、ふとバンドのことが頭に浮かんで最悪の気分になって布団に倒れ込んでしまう。俺には何もできない。もともと何をするつもりもないけど。無力。もうこのままでいい。沈むだけ。全部きもいわ。なにが閃光ライオットじゃぼけ。死にたい死にたい死にたい死にたくない死にたい死にたくない死にたくない死にたくない。浅ましい。生きて何になるんだ。でも死にたくないよ。もうだめだ。キモい俺もお前も。でもお前がキモいのはどうでもいい。俺がキモいということを思い出すたびに俺は死にたくなる。死にたいいきたいが。何が出れんのサマソニだし林檎オン^_^くさいワンちゃんミュージッゴールドラッシュ死にたい。消えろ消えろ  ?疲れた。もう音楽の話やめよう。誰か一緒に寝て欲しい。抱きしめてほしい。もうそれだけでいい。一生。誰かの喧嘩とか見栄張るための嘘とか誰かを傷つけるための言葉とかそういうエンタメはもういい。俺は音楽と友達になれなかった。俺は歩み寄ることができなかった。音楽は俺を救ってくれない。だから誰か助けに来てほしい。そっか。誰にも歩み寄れてないから助けに来てくれないのか。文字を打ってわかることもある。俺は弱い。責任感がない。無知の知。恥ずかしげも無くダサいことをやってるやつらよりましか。俺は努力が足りない。死にたい。

この前ドキュメンタリーを見た。老夫婦の生活。おばあちゃんの認知症が進行していくに連れておばあちゃんは「私はみんなに馬鹿にされている、邪魔になるなら早く死なせてくれ」と言うようになり横になる時間が増えていったと。俺みたいだなーって思った。そして自分のおばあちゃんのことを思い出した。おばあちゃんも認知症だった。早く死にたいとよく言っていた。そんなことを言う人を見るのはその時初めてだったから俺はどうすればいいのかわからなくて部屋をきょろきょろ見回していた。今も俺はおんなじ。早く死にたいっていう人がいたら目があわないようにそっぽむいてる。抱きしめられればよかったのに。俺には何もできない。

8月生まれ、獅子座、俺はずっと夏が好きだった。最近まで好きだと思ってた。イベントも沢山ある。夏休みは友達と遊べる。どこか遠くへ旅行に行ける。誕生日もあるし。ここ最近は昔よりも感情の昂りがない。それはきっとここ数年のとんでもない猛暑だったり、友達がいなくてどこにもいかなかったり、誕生日を誰にも祝ってもらえなかったりのせいもあるだろうが、夏になるとなんだか上手くいかない。

今年は謎の病気になって全身に発疹ができて手足が腫れた。

去年は肝炎になってずっと死んでた。思えば今年のそれより全然大変だった。コロナが流行ってたこともあり内科を受診するにも時間がかかった。結局1週間立ってから肝炎だったことがわかった。体がだるくて咳は出るし、食欲もない、途中から喉もめちゃくちゃ痛くなる。そしてちんちんがいかなる状況においても全く勃たなくなってすごい焦った。

肝炎になって2週間くらいたって少しだけ食欲が出たから回転寿司に行こうとチャリを漕いでたら、すれ違ったおじさんがアルミホイルに包まれたおにぎりを食べてた。ふと中学生の頃、母親が同じようなものを作って持たせてくれたことを思い出した。
サッカー部だった俺は家をべらぼうに早く出ることがたまにあって、母親もそれに合わせて起きて俺に朝食をとらせて弁当やおにぎりを持たせてくれていた。俺の学校は育ちの良い都会っ子が多くて、友達が話す家族とか地元の話を聴いて千葉から電車で通ってた自分はなんとなく劣等感というか自分ってダセーなっていうことを思ってて、それを自分の持ち物だったり、持たせてくれた弁当にまで感じたりしてた。ある時友達が持ってきてたおにぎりを食べさせてもらったことがあった。初めて食べる他の家のおにぎりがその時の俺にはとても美味しく感じて、家に帰ってから母親に「あいつの家のおにぎりうまかったわ」「もっと塩味を薄くしてほしい」と言った。「一応あんたが沢山運動すること考えて塩多くしてるんだけどね…」と母親に言われた。
思い出して最悪な気持ちになった。そして急に自分が死ぬこと、両親が死ぬこと、友達とか今まであってきた好きな人が死んで会えなくなることを想像してしまった。母親に嫌なことしたな。母親以外にも沢山嫌なことしてきたな。あー、今あいつは何してんだろ、病気とか嫌なこととか無いといいな。とか思ってたら涙が溢れてきて御池通で嗚咽してしまって道にうずくまってしまった。道行くおばさんとかもめちゃくちゃ心配させてしまって、隣に彼女がいたからまだ大ごとにならずに済んだからよかったけどそりゃ道端にめっちゃ泣いている人いたらびっくりするよね。多分体調がずっと悪くて心もおかしくなってたんだと思う。

そこからしばらく死ぬことについて考えてた。死にたくないな。死んだらどうなるんだろう。前世の記憶なんてないし、一生で起こったことはきっと全部忘れてしまうんだろうな。前世とかなんてないんだろうな。ただビデオがプツンと終わってずっと真っ暗闇。誰かが「人は死ぬときの感情や感覚が永続する。つまりずっと『死の恐怖や痛み』という地獄が続く」みたいなことを言ってた気がする。ビデオテープの最後の0.1秒がループし続けて最後は電池切れで徐々に真っ暗になっていって全部が終わる、死ぬのはそんな感じだろうか(だから俺はディレイとかグリッチの音を聞くと死ぬ瞬間とか死を連想する)。死ぬのが怖いな。親は後どれくらい生きるだろう。長くて30年くらい?今は思考を放棄してるけどいつか向き合わなければならない。そういえば前に行ったバーの店主が亡くなったらしい。20年ちょっとしか生きてないけど気づいたら周りの人だったり知ってる人が死んでいってる。ああ、死ぬのが怖いな。

気づいたら死んでるから、伝えないと、後悔しないように、とか言われると「うるせーよ」と思うけど、でも本当。

こんなこと考えてしまうのは多分最近の夏が、京都が暑すぎるから。体調がおかしくなってしまうくらい。最近夏があまり好きじゃない。

music.apple.com

瞳の住人を超える曲を作れない

このブログを読んでいる人が少なからずいると言う事実に毎回驚く。ブログを始めた最初の頃はこれをなんらかの面白コンテンツとして皆さんに提供できればと思っていたが、思考を文章にして整理していけばいくほどにネガティブになっていき最終的にはここがただのゲボ袋になっていた。恥を忍んで言えばヤマトパンクスがやっているみたいなブログをやりたかったのだけどあんなにうまく文章を書くことはできないしそもそも俺には教養がない。そしてあの文体を真似ているバンドマンの書く文章のなんとキモイことか。そんなこんなで自分は面白コンテンツを諦めてゲボ袋としてこのブログを使っているので、これに対して面白いという感想を伝えられると照れるとかくすぐったいとかとはまた異なった非常に変な感情に襲われる。「なんか…すいませんねぇ」とか返答したりしている。そして今日ふと思い出してゲボを吐いてみる。

 

最近はバイトもずっと休んで引きこもっていることが多いのだがそれは今月の頭からずっと体調が良くなかったから。手に十個くらい発疹ができて最初は何か変な虫に刺されたのだと思っていたのだがそれがどんどん全身に広がって、特に手足はパンパンに腫れ上がってバンドとかバイトというよりそもそもの生活が全く回らないような状況になってしまった。箸は持てないし歩くと激痛が走る。臓器にダメージはほとんどなかったのか食欲などは正常だった。かろうじてスプーンは持てたので(それでもめちゃくちゃ手痛かったが)ウーバーでチャーハンとかカレーとか頼んでそればっかり食べた。すぐそこの病院にもタクシーを呼んで行った。結局なんでこんなことになってしまったのか、詳しくはいまだにわかってないんだけど免疫が落ちている時に風邪のウイルスだったりにかかると今回みたいな症状が起きる場合があるらしい。

8月7日に東京でライブが決まってたけどキャンセルしてしまった。ツイッターでキモいバンド関係者らがキャンセルについてのお気持ち表明をして盛り上がっていた時期だったのでめちゃくちゃキャンセルの連絡に気を使った。別に悪いことしてるわけじゃないのに言い訳みたいなラインをブッカーの人に送った。俺が気を使ったりすることのないよう、今後二度とキモい話題でTwitterが盛り上がることのないように願う。
まだ手足はかなり腫れてたけど10日と12日のライブは出演した。10日なんか久々の演奏なのに慣れてない野外ステージで声は飛ぶしピックは落とすしでなかなかヘロヘロのライブだったがなんとかやり切れた。楽しかったというより正直やり切ることに必死だったのであんまよくわかんなかった。喜びとか後悔とかそれらもあんまりなかった。終わった後も12日は企画ライブだしそれがうまくいけばいいなと思っていた。
正直体調を考慮して12日キャンセルしても良かったしライブハウス側からもそれを提案されたけど俺はキャンセルしたくなかった。ていうのは別に「ライブを絶対に飛ばさないぜ!」っていうアツいバンドマンマインドによってではなくもっと生々しい話で、前日にライブをキャンセルする場合キャンセル代がかかるから。詳しくは書かんがまあ結構な額なんでそんなの払いたくないと思ったのが強行出場の理由…の一つですよ?色々理由はあった。その日を飛ばしてヤジマXはまた来てくれるだろうか?来てくれるとしてかなり先になるのではないだろうか?という懸念もあったし、東京から来てくれる人もいた。そんな色々があって12日のイベントに臨んだ。
概ね良いイベントになったんだと思う。見に来てくれた人は「良かった」と口々に言ってくれた。それだけで及第点ではあると個人的には思っている。ただ(こんなことは公にいうべきじゃないんだろうけど)集客がダメだった。大赤字だった。自分の集客力の無さに日々苦しくなるのだが、イベントで人が呼べないとかなり堪えるものがあった。イベントの主催としてやれることがもっとあった。もっと他のバンドの魅力を伝えたり、告知の方法もいつも通りツイートをするだけじゃなくてもっと色々あった。そしてそもそもこのイベントに限らず自分たちがどういう魅力があるのかということを伝えられていない。自分を魅せるということがとことん下手くそである。下手だし、沢山の照れとかプライドみたいなものがそれを邪魔している。そんなものはさっさと捨てるべきだとわかっているのだけど。

12日のライブが終わってしばらくバイトとかも休ませてもらうことになって療養期間ということになった。病院に行ったときに「最近ストレスなんか溜め込んでますか?」と聞かれた。ストレスは免疫が落ちる一つの要因らしい。溜め込んでるというか基本的にずっとストレスである。
人間は生きる上で何かに頼らないといけない。人間関係がうまく回っていない場合の要因として考えられるのは依存先が少ないということ。自分という一本の棒を安定させるためには様々な支柱が必要になるけど、その柱の本数は少なすぎても多すぎてもダメで最適な密度を保つことが重要である。柱が少なかったんだとおもう。生きる意味とか目標みたいなのを考えた時の柱が。今の俺は(誇張して言えば)バンドしかないけど、それがしんどかった。バンドが上手くいかないだけで俺の人生そのものが上手くいってないこととほとんど同義なのだから。しばらくゆっくりバンドに接していければと今は思っている。バンド関係の連絡をするのが今はすごい億劫だ。焦りが常にあるけど焦るのに疲れた。一旦完全にバンドのことなんて忘れたいと思ったり、そんなの無理だから思ったりするだけである。一人で家にいるとバンドのことを考えてどうにもならない妄想をしTwitterで他バンドの活躍を知り最悪な気分になるので寝たり、飲んだり、ラジオを聴いたり、アマプラを見たり。今のところラジオが一番良い。なんだか寂しくないって思えるし。芸人のラジオが一番良い。音楽じゃない話をしてくれる友達って感じ。俺は友達といたら音楽の話ばっかしちゃうから…。その点FM802とかは最悪。というか聞いたことがない。
どこかに行きたい。知らない街を歩いてみたい。どこか遠くへ行きたい。元々は明日どこか遠くへ行こうと思ってバスやらなんやらを調べるためにパソコンをカタカタし始めたんだった。結局調べずにもう1時になってしまったよ。

なんかずっと助けてくれー!って思ってるのにいざ人と話すと自分の悩みは大したことないものに思えてあんまり喋れなくなる。でも家に帰って就職が決まった人のTwitterなんか見て最悪になってミュートする。最近SNSでミュートしたやつがとても増えた気がする。みんなきもいし、キモいし。きめーし。そういう人らの前で俺は胸はってバンドをやってるって言えない。そういう奴らの「バンドやってるんでしょ?どんな感じなの?」に少し入っている侮蔑が俺の中で10倍くらいにアンプリファイされて満ちる感覚をよく覚える。人はそれを被害妄想だと言う。俺もそう思う。多分自意識がひどいことになっててこんなことになってしまってるんだと思う。正直同級生とかに会うのが前よりずっと億劫になっている。よ。そんな夜に俺は瞳の住人を聴いて涙したりするのでした。音楽聴くのがしんどくて前より聴かなくなったし感動もしなくなってきてますが瞳の住人はいいね。もう一旦これ以外音楽なくてもいいと思う。1週間くらい。

明日は遠くに行きたい。

youtu.be

マジで最高の夜だった!

「いやーマジで最高の夜でした!また一緒にやろう!」
的な文言をバンドをやってるとTwitterなんかではよく見かける。あまりバンドに関わりがない人々は分からないかもしれませんが別にそいつが有名なバンドマンじゃなくとも、そいつがマイヘアじゃなくてもテンフィートじゃなくてもそんな文言をその日の盛り上がってる風な写真と共にSNSにあげるんすわ。
別にそれは全然いいと思うのですが。そら私だってぼちぼちライブをやる中で「今回は本当に良いイベントだったなー」と思う時はありますし。ただその心は本当なんだろうけどそれを言うことの意義みたいのを考えるとなんかモヤッとする。俺が今までバンドをやっている人と関わってきた中で感じたのは彼彼女らってバンドを100%楽しいでやってることはほとんど無くて、バンドで良い演奏ができたり良い作品ができたりっていうその瞬間は喜びを感じれるけど、例えばご飯を食べてたり、学校に行ったり、仕事をしたりっていう人生の時間のほとんどはバンドが「呪い」「足枷」になっていて、もうずっと不安で、やめたくはないんだけど、ふとやめてもいいなと思ってしまうというような。売れてない人は売れてる人に劣等感だし、売れてる人はさらに売れてる人に劣等感だし、彼女と結婚なんてできなさそうだし、同級生はいいところに就職して幸せそうだし、日本経済は終わってるし、そんな中でいつまでこんな生活ができるのだろう、両親もいつか死ぬ、もう10年くらいしたら介護しなくちゃいけないかもしれない、バンドなんてしてたら孝行なんてできない気がする…。多分そんなずっと不安な人らだから意識的に「最高だった!」って言ってるのではないか?それはアピールであり、自己暗示でもあり。

ある日俺の前をバンドマン達が歩いていた。
「まああいつら売れてるけどぶっちゃけ大した実力ないしな!」「でもあいつらがいなかったら自主企画赤字だったな」「あいつらは全然俺らより大きいとこ出てるけどそれだけだろ。今日みたいな小箱の最高な夜をあいつら知らねえんだから」
俺は「その『最高な夜』って明らかに虚勢じゃんね…」って事情はよく分からないけど思った。それまでに度々目にしてきた「最高の夜だった!」ツイートの投稿者を思い浮かべたりした。
心なんて一生不安さ
オーイェーってかんじ

昔話

大学に入るとき「大学生活中にバンドが軌道に乗らなかったら大人しく諦めて就職しよう」と思った。期間を決めないとダラダラとやってしまう、ヒリヒリしてた方が良い結果になると考えていたのもあるけど、憧れだった志村正彦が上京する時に家族と「3年(数字は曖昧)たって結果が出なかったら実家に帰る」という約束をしてたのを知ってたから。あとは「大学在学中に芽が出るバンドなんて沢山いるんだから、俺もそこくらいまではいけるでしょ」という自信というか驕りというか。
高校3年生の時、一個上の先輩がオーディションで優勝してCDJに出た。めちゃくちゃ仲良かった訳ではないけど何回か話したことはあってライブも何回か見に行ってた。フェスに出るってすごい遠くの世界だと思ってたけど、そこに行った。
高校3年生の時、また別の友人が音楽活動を始めて結構人気が出て今じゃそこそこ生活していけるくらいにはなってる。遠くの世界だと思っていたところに、行った。
俺はスタートが遅れただけで本気になってやれば俺もあそこくらいまではいけるんだと、恥ずかしいが本気で思ってた。というか「いかなきゃダメなんだ」と思ってた。

大学4回生の6月になった。
思い描いていた事件は何も起こっていない。

高校3年生の3月、受験も終わって友達とガストに飯食いに行った。四谷三丁目だった。当然この先の、未来の話なんかして。「この先何やりたいの」って言われた時に「バンドやってフェスでる、売れたい」って言ったの覚えてる。「ライブ行くから家族みんなゲストで入れてくれ」って返してくれた。俺は「もちろん」って返した。
昔好きだった女の子に当時作ってた曲を聴いてもらった。今となってはそれが嘘か本当かわからないけど「かっこいい曲だね、有君は才能があるね」って言ってもらえて、俺は卑屈なのと照れてたので「ちょっと曲作るのに向いてただけだよ」って言ったら「ちょっとじゃなくて凄く才能があると思う」って言ってくれた。
昔一緒にバンドをやってた高身長イケメンは俺の曲を聴いて「将来北里がテレビ出たら真っ先にインタビューで喋るわ〜」って言ってくれた。
この前一緒に飲んだ先輩は「北里ってフロントマンとしての魅力があると思うよ」と言ってくれた。

たまに
そんなことを思い出したりしてお腹が痛くなったり嬉しくなったりため息が出たりニヤニヤしたりする。

 

ここまで夜中に書いて寝落ちして、ここから翌昼なのですが明るくなってしまえばこれまでの暗い文章を書くのも不可能…。私今コロナに罹ってて誰にも会えないので今日は映画でも見ようと思いまつ。