昔話

大学に入るとき「大学生活中にバンドが軌道に乗らなかったら大人しく諦めて就職しよう」と思った。期間を決めないとダラダラとやってしまう、ヒリヒリしてた方が良い結果になると考えていたのもあるけど、憧れだった志村正彦が上京する時に家族と「3年(数字は曖昧)たって結果が出なかったら実家に帰る」という約束をしてたのを知ってたから。あとは「大学在学中に芽が出るバンドなんて沢山いるんだから、俺もそこくらいまではいけるでしょ」という自信というか驕りというか。
高校3年生の時、一個上の先輩がオーディションで優勝してCDJに出た。めちゃくちゃ仲良かった訳ではないけど何回か話したことはあってライブも何回か見に行ってた。フェスに出るってすごい遠くの世界だと思ってたけど、そこに行った。
高校3年生の時、また別の友人が音楽活動を始めて結構人気が出て今じゃそこそこ生活していけるくらいにはなってる。遠くの世界だと思っていたところに、行った。
俺はスタートが遅れただけで本気になってやれば俺もあそこくらいまではいけるんだと、恥ずかしいが本気で思ってた。というか「いかなきゃダメなんだ」と思ってた。

大学4回生の6月になった。
思い描いていた事件は何も起こっていない。

高校3年生の3月、受験も終わって友達とガストに飯食いに行った。四谷三丁目だった。当然この先の、未来の話なんかして。「この先何やりたいの」って言われた時に「バンドやってフェスでる、売れたい」って言ったの覚えてる。「ライブ行くから家族みんなゲストで入れてくれ」って返してくれた。俺は「もちろん」って返した。
昔好きだった女の子に当時作ってた曲を聴いてもらった。今となってはそれが嘘か本当かわからないけど「かっこいい曲だね、有君は才能があるね」って言ってもらえて、俺は卑屈なのと照れてたので「ちょっと曲作るのに向いてただけだよ」って言ったら「ちょっとじゃなくて凄く才能があると思う」って言ってくれた。
昔一緒にバンドをやってた高身長イケメンは俺の曲を聴いて「将来北里がテレビ出たら真っ先にインタビューで喋るわ〜」って言ってくれた。
この前一緒に飲んだ先輩は「北里ってフロントマンとしての魅力があると思うよ」と言ってくれた。

たまに
そんなことを思い出したりしてお腹が痛くなったり嬉しくなったりため息が出たりニヤニヤしたりする。

 

ここまで夜中に書いて寝落ちして、ここから翌昼なのですが明るくなってしまえばこれまでの暗い文章を書くのも不可能…。私今コロナに罹ってて誰にも会えないので今日は映画でも見ようと思いまつ。