November

俺はその日木屋町にいた。11月、外はすっかり寒くなっていた。吐き出す言葉が見えるようになる頃。なぜ学祭というのはどこもかしこも11月にやるのだろうか。その理由は結局未だ知らないんだけど。まあどいつもこいつも木屋町にいる奴らははしゃいでてただでさえ気持ちの悪い場所なのに、普段よりも学生が多いわけなので本当に辟易としてしまう。赤の他人がはしゃいでいる様というのは本当にむかつく光景である。だがしかし、お祭りの輪に一度飛び込んでみればあらま、意外と、これ、悪くないんじゃないかしら?なんてことも往々にしてあるわけである。踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら云々、とこんなことはずっと昔からみんな知ってることなのです。「俺はあんな阿呆とは違うのだ」なんてことを思ってた俺自身もまた別種の阿呆なだけなのである。まあ、年に数回くらいは踊る阿呆になってやってもいいかと初めて飛び込んでみたのがおそらくあれは2021年の11月。

「あれは本当に地獄だった」と何故だか嬉しそうに語る馬鹿どもはいつだっているのだろうが意識を自ら手放してしまうならば地獄も天国も変わらないのだろう。目は霞んできて全ての輪郭がぼやける。食べることは自分の境界線を曖昧にすること、セクースをするのは自分の境界線を曖昧にすること、自分の意識を放棄することは境界線を曖昧にすること。五感を鈍らせて全ての境界が曖昧になる。境界線喪失Loverにとっては死ぬということも意外と悪くないことなのかもしれない。

頭が鈍って意味のない言葉をたくさん撒き散らす。その会話に意味はないのに誰かと一緒にお酒を飲むとその人のことが少しわかった気になってしまうのは何故なのだろう。境界線を失って認知機能も下がっているのに、川沿いで吐く言葉には形ができる。わかった気になってしまった。俺はそれが嬉しくて一緒に川の中に沈んでしまいたいと思った。

朝が近づいて山陰が見えるようになって言葉の形がますます見えるようになってきた頃に僕らは別れた。その帰り道、なぜか彼女と道で遭遇した。彼女はあそこまで酔った様の俺を見たことがなかったようで、あまりの醜態にびっくりして、後日俺は別れを告げられた。

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