あってよかった

今日はサークルでライブをやった。久しぶりに集中しすぎて頭痛くなった。toe

出番が終わったらすぐ帰った。ごめんなさい。家に帰ってミックス、マスタリング、勉強、夕飯、歌詞のっけ(暫定)で1日が終わった。

才能も努力も頭も金も時間も覚悟も敬意も何もかもが足りない。全部が間に合わず回らず。最近被害者面してばかりだったが周囲を不快にさせていた加害者は俺でしたという指摘。そして俺以上に苦しみもがき努力し大きなことを成し遂げた友人のSNS投稿。俺は傷つきやすいとかそんなんじゃなくてただただ怠惰なだけでした。部屋が荒れているのも心の不調ではなくただの怠惰でございました。と、どんどん顕になる俺、人間。そんな最近。

俺の好きな人が俺の音楽ではなくベットカバーの音楽に、おとぼけビーバーの音楽に魅力を感じ足を向け金を落とすこの現状に泣きたくなる情けなくなる今日この頃の生活。

もういらないと思っていたが、明後日のカウンセリング、予約しておいてよかった。あってよかった。

皆さんの「あってよかった」はなんですか?

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開け

「お前ら演奏は上手いんだからあとはお前が曝け出すだけやろ」
よくライブを見にきてくれるおじさんに言われた。あたしは自分を曝け出してるかは知らんけど自然にいるつもりだった。しかしそれは曝け出すとは違っていたのでした!(なんだって〜)

それは2月のある日のこと。その日はライブをして企業の説明会なんかに行って頑張った日だった。疲れた夜に俺は部屋で一人。誰かと飲みに行きたいと思った。が、しかし、誘う人が思いつかなかったのである。LINEの友達を眺めてみたが誰に連絡をすることもできなかったのである。「この人は俺のこと好きじゃないだろう」「この人と何を話せばいいんだろうか…」色々と考えて誰も誘えませんでした。
ツイート、ストーリーを見てなんとなく知り合いがいそうな木屋町へと自転車を走らせた。俺は「思いがけない出会い」を演出することによって飲みにいく知り合いを見つけようとしたのである。夜の河原町通は日曜日といってもあまり活気がない。下って下って木屋町の駐輪場にチャリを停めた。とりあえず木屋町の公衆トイレに行く。いきなり隣に知り合いが立ったで。俺はスルーした。声をかけられなかった。トイレを出ると知り合い(顔見知り)がいたが気づかれないようにマスクをして下を向いて歩いた。そして誰にも気づかれることなく高瀬川の喫煙所に行った。本当に、俺は、何をしているんだろう。30分くらい木屋町の辺りをうろうろして誰にも会わず、どこの店にも入らず、チャリに乗って元来た道を引き返す。俺は泣きそうだったからラジオを聴きながら帰った。

俺の周りの知り合いは友達が多い気がする。それはやっぱり本音で話せているからなんじゃないかと思う。俺は友達が少ない。飲みに行ける人が少ない。そりゃ本音で話せないやつは面白くないよね。俺は飲みに行ける友達が欲しいです。できればたくさん。いつでも誘ってください。他力本願。

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ドネルケバブ屋さん

曲ができない。いい曲ができない。これはもう、何のために俺はおるのか。

前に進む、止まる、戻る、戻る、進む、止まる、止まる、戻る。

俺には才能がない。努力をしなくてはいけない。できない。愛嬌もない。誰にも認められず好かれない。洗礼名が欲しい。

被害者ヅラをやめて本を読んで音楽を聞き音楽を作れ。話はそれからである。インターネットから離れて曲をかけ。アルバムを出せ。

どうにかするには死ぬしかないがどうにかするつもりは毛頭ない。無様にも貴様は快にしがみつきそれを手に入れるために足掻く足掻く。無様だなぁ!

就活辞めたい。

新快速に乗って

ノーと言えない日本人というかノーと言えない俺、イエスって言っちゃう俺。どこがイエスなんだ馬鹿野郎。己のイエスに首を絞められている。しかしながら自分に鞭打つではないがイエスと言ってみることで無理矢理にでも物事が前に進んでいくということもあるだろう。たまにノーと言ってみるんだけども実はノーって程でもないんだなこれが。だけどもやっぱり俺のイエスの裏には必ずノーがあるんだな。泣いているようで笑っている、笑っているようで泣いている。その倒錯が滑稽でもあり切なくもある。滑稽でもあり切なくもある、映画でも音楽でもなんでも結構この類のものを好き好んでいる私だが「自分に近いから」なんて理由でこれらに魅力を感じているならばそんなダサいことはない。

頭の中で同じ考えがぐるぐる回る。ショートしかけている。なんであの時イエスと言った、イエスと言わなかった、イエスと言わされた、イエスと言ったことで実は俺は損をしたのではないか。ショートしたとて周囲の人間の生活はなんら変わらないだろう。悔しー。残念ながらいじめられっ子が自殺をしたとていじめっ子らが自身の生き方を顧みるかといえば全くそんなことはないのと同じことである。
遠くへ行きたい。知らない街を歩いてみたい。どこか遠くへ行きたい。あの曲が頭に流れる。休日に旅番組を放送するのはみんな本当はどこか遠くへ逃げ出してしまいたいからなのだろう。ラッキーなことに俺は休学中の大学生、気力があれば、あとは金が足りていれば少し遠くへ行くことだってできちゃうのである。できるだけ遠くへ、そうだ、海を見に行きたい。京都駅までチャリを漕ぐ。着いたはいいが駐輪場を見つけるのに7分くらいかかった。だがそれを停められさえすればこっちのもんである。うん番線に新快速がやってくる。この「播州赤穂」ってのは一体どこなんだろうか。すごく遠い街だろうが海はなさそうだ。お足元にご注意ください、とりあえず乗りこんで。窓側の席に座る。景色がビュンビュンと流れていく。こんな鉄塊とぶつかったら俺はひとたまりもないだろう。やっぱり飛び込んだら痛いんだろうか。それとも一瞬で意識を失うから痛くないんだろうか。思いっきり絆創膏を剥がすみたいに。こんなことを考えてその度に怖くなる。目を瞑って頭をブンブン振る。時速130km、京都から大阪まで30分程。新快速に乗る時の気持ちは海を見る時と似ているかもしれない。圧倒的な敗北感。己の矮小さ。あまりにも自分が弱すぎて笑えてくるくらい。圧倒的な敗北は自分を縛り付けている価値観からの開放へとつながっている。頭の中を何周もしている悩みをぶっ飛ばす。もしくは、もしかすると新快速と一体化した気になっているのかもしれない。まあ事実一体化しているのだ。自分自身もこの地球上を130km/hで移動しているのだ。全能感やその類のものを感じているのだろうか。こんな愚かな思考でも新快速に乗ってる時くらい許してくれ。だいじょばないけど大丈夫ってこういうことなんかな。

一年前も新快速に乗って海に行ったことを思い出す。流れる景色に忍者を走らせて遊んでいたら夏は終わって冬が来てそしてこの夏になっていた。新快速はすごいねぇ、なんせ京都から新大阪まで30分しないんだよ。何度も繰り返される俺の話に退屈しても大丈夫、なぜなら新快速から見る景色に飽きることなんてないから。何を見ているんだろう。その瞳には何が映るんだろうか。あたしゃ瞳の住人になれるんだろうか。はたまた瞳に映らないんだろうか。まあ今は住人じゃなくても別にいいんだが。君はこんな気持ちの悪い思索に気づかなくていいんだ。ただ気づかないうちに俺は君の視界を傍受しようと企んでいる。

俺の人生に永遠はない。絶対もない。絶対大丈夫だなんて言えたらどんなに格好良いだろうか。いつだって保険をかけたような喋り方をしてしまう。きっと、多分、おそらく、だと思う、とも言える、かもしれない…。この世で不幸なのは俺だけだなんて思うほど馬鹿じゃない(思いたくもなるが)。君だって君なりに苦しんで悩んでいるのだろうし。だけど大丈夫なんて俺は言えない。できることと言えばせいぜい背中を摩ってあげるくらい。

そんな君は新快速からの景色を見て何を思うんだろうか。君と僕は違う個体だ。もちろん回路だって違う。俺がラーメンを食べたいと思っている時、君はチョコザップに行きたいと思っているように。そして違う人生を歩んでいる、これまでもこれからも。ただ、だからこそ俺と同じように感じていたのならそれはとても素敵なことだと思う。そうだったならばこう言いたくなる気持ちもわかってくれるだろう。

どこまでも行こうぜ。永遠も絶対もない。けれどもどこまでも行こう。そう言ってみよう。

俺はたまに調子に乗ってこんな恥ずかしいことを言ってしまう。

November

俺はその日木屋町にいた。11月、外はすっかり寒くなっていた。吐き出す言葉が見えるようになる頃。なぜ学祭というのはどこもかしこも11月にやるのだろうか。その理由は結局未だ知らないんだけど。まあどいつもこいつも木屋町にいる奴らははしゃいでてただでさえ気持ちの悪い場所なのに、普段よりも学生が多いわけなので本当に辟易としてしまう。赤の他人がはしゃいでいる様というのは本当にむかつく光景である。だがしかし、お祭りの輪に一度飛び込んでみればあらま、意外と、これ、悪くないんじゃないかしら?なんてことも往々にしてあるわけである。踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら云々、とこんなことはずっと昔からみんな知ってることなのです。「俺はあんな阿呆とは違うのだ」なんてことを思ってた俺自身もまた別種の阿呆なだけなのである。まあ、年に数回くらいは踊る阿呆になってやってもいいかと初めて飛び込んでみたのがおそらくあれは2021年の11月。

「あれは本当に地獄だった」と何故だか嬉しそうに語る馬鹿どもはいつだっているのだろうが意識を自ら手放してしまうならば地獄も天国も変わらないのだろう。目は霞んできて全ての輪郭がぼやける。食べることは自分の境界線を曖昧にすること、セクースをするのは自分の境界線を曖昧にすること、自分の意識を放棄することは境界線を曖昧にすること。五感を鈍らせて全ての境界が曖昧になる。境界線喪失Loverにとっては死ぬということも意外と悪くないことなのかもしれない。

頭が鈍って意味のない言葉をたくさん撒き散らす。その会話に意味はないのに誰かと一緒にお酒を飲むとその人のことが少しわかった気になってしまうのは何故なのだろう。境界線を失って認知機能も下がっているのに、川沿いで吐く言葉には形ができる。わかった気になってしまった。俺はそれが嬉しくて一緒に川の中に沈んでしまいたいと思った。

朝が近づいて山陰が見えるようになって言葉の形がますます見えるようになってきた頃に僕らは別れた。その帰り道、なぜか彼女と道で遭遇した。彼女はあそこまで酔った様の俺を見たことがなかったようで、あまりの醜態にびっくりして、後日俺は別れを告げられた。

November

青春

青春らしい青春を送れなかった、なんてことを君は言うけどそれはきっと気がついてないだけでそういうのは往々にして後になって美しく見えるものだ。友達が自分の部屋にやってきて「この部屋臭っ!」と言われて気がつく己の不潔さ。飛行機で雲の中に入れば周りが何も見えないし機体は揺れて怖いのに地上の人は「綿菓子みたいで美味しそうだなー」なんて貧困な想像で楽しんでたりする。青春というのは離れてみた時に初めて美しく見えるものなんだろう。

青春18きっぷって何が青春なんだろ。やっぱ貧乏旅的なことだろうか。時間はあるけど金はない青年のためのきっぷ。それ以上の何か含蓄に富んだものなのではないかと考えたりするけどそんなバカ考察に時間を使うのも滑稽である。在りし日のアボガド6のリプ欄をネタにしてゲラゲラと下品に笑っていた高校時代を思い出す。

疲れ切ってどこか遠く行きたい、と8/31になって思い立って金券ショップで青春18きっぷ(3回分)を買った。京都から鈍行で行ける最も遠いところは大体熊本とか仙台らしい。なんとなく仙台に行くことにした。最近発狂して誰にも会わず外にも出ずバンドもバイトの連絡も完全に無視しきって布団で寝ているだけのワイ将、おそらく体を痛めつけて生きている実感を得たかったのだろう。今までも実家から東京まで鈍行で帰ったり、下宿からひらパーまで歩いて何もせず帰ったり、夜中の真っ暗な山道を琵琶湖まで歩いて朝日をみて帰ったり、体力を(適度に)消耗するイベントを度々行っていたけどそれらが生の実感につながっていたのだろう。つらい仕事をしたり筋トレをしたり走ったりリストカットをしたりときっと同じ。わざわざ金を払ってしんどいことをするなんておかしな話だ。大人になって狂ってしまったのか。

出町柳の始発電車に乗るために4時15分に目覚ましをかけた。前の日の夜は「行ってやるぞ」とワクワクしていたのだが目を覚ますと「ああ、本当にこの日が来てしまった…本当に行くのか…?」とひどく憂鬱になって、もう一回布団を掘って潜り込んでしまおうかともおもったが既にホテルを予約してしまっていたので渋々身支度をした。最後の荷造りを終えて出発した4時50分、空も街も真っ赤に光っていていいもん見たななんて思ってしまった。キモ、早く行け。

5時21分出町柳発の電車にあまり人はいなかったが三条、祇園四条になるとヤンキー、ホス狂、小汚いおじさんらが夜、川、汗、酒、性等々のニオイを纏ってたくさん乗ってきた。フライデーナイトを楽しんできた人達だろう。近くに座ってこないでよかった。東福寺からJRに乗って正式に18きっぷの旅が始まる。京都から米原に向かう電車には途中からだんだんとの中学生が乗ってきて同じ駅で全部降りていった。ある子のカバンのサイドポケットにはリレーのバトンが入っていたから多分陸上の大会があるんだろうな。前に座ってるおじさんのスマホがチラッと見えてブレイキングダウンが流れていた。俺はあれがあんまり好きじゃない、ってのは単に野蛮な感じが苦手なのだがおじさんとかかなり年上の人、所謂「いい大人」が見てるとなんだかすごく残念な気持ちになる。本当にどうでもいい話だが。なんて思ってると米原に着く。6時56分。

米原から特別快速に乗ったのだがなかなか混んでいた。ほとんど満席。ボックスシートの横並びの2席をジジイが荷物を置いて脚を広げて占領していた。新幹線でもなんでもジジイは席を占領しがちだ。嫌な気持ちになって現実を見ないために目を瞑ったら眠ってしまった。(⁉︎)が浮かび目が覚めると隣におじさんが座っていた。おじさんのオイニーがなかなかキツかったのだ。服を変えていない系の匂い。もう豊橋まで来ていた。席占領ジジイはまだ占領していたし、なんなら汚ねえ素足を先に乗っけて寝そべっていた。

しばらくすると浜名湖が見えて列車もその上を走り始めた。9時過ぎ、まどろみ、一番心地よい時間。近くのダブルジジイ以外は最高と思いながらもきっと俺も将来そう思われるんだろうなとか考えてた。9時49分浜松到着。

50分発の静岡行きにすぐに乗った。やっぱり混んでいて30分くらいは立っていた。本を読んだりPSYCHO-PASSを見てたらすぐに静岡に着いた。11時02分。静岡は結構都会だった多分京都より都会だと思う。次の電車まで50分空いたが逆に言えば50分しか空いてないのだ。帯に短し襷になんたらというやつだ。とりあえずマックを食べた。照り焼きのセットで670円、高い。

11時53分、熱海行きが発車。色んな人が乗ってる。しばらく京都で学生と爺さん婆さんばっか見てたからなんだかそんなことにさえ驚いてしまう。つなぎを着たおじさん、登山バックを持った夫婦、全身真っ黒謎の美女、めちゃくちゃ脚を広げてるジジイ(おじいちゃん)、乳首浮きすぎ野球部、シャバい大学生ぽい集団。久しぶりにロングシートの電車に乗ったけど見ず知らずの人と接触することのストレスたるや。高校時代の通学のストレスを思い出した。東京の朝は混んでるだけではなく一定数のヤバいジジイがいるのだ。少し体重をかけただけでバチギレするジジイ。目があっただけで怒鳴ってくるジジイ。みんなストレスでおかしくなってしまっているんだ。それに比べれば昼の静岡はマシだろうと言い聞かせ文章を読んだり。そもそも俺は肩幅が広いので関東のロングシートに座ると絶対に隣の人に体が触れてしまうのだ。関東が嫌いな所以。そんなことを思いながらベースボールベアーなんか聴いてるとベースボールベアーみたいな女の子が途中で乗ってきたではないか。レモンスカッシュ溢れる感覚♫るんるん♫真夏の条件、それは一つだけ君がいるということなのである。最初彼女は僕(今の僕はベースボールベアーの世界にいるので当然一人称も僕に変わる)の向かいに座った。2駅ほど走って喪服を着た老夫婦が乗ってくると彼女は席を立って譲った。そう、その時、レモンが弾けた感覚。彼女は僕に背を向けて立っている。髪留めを解いて一旦櫛でとかす。そしてまた髪を結ぶ。唇ディテクティブ♫そう流していたら僕の目の前にベイスターズのユニホームを着た青年が立ちはだかる。どけ!邪魔だ!このまま横浜まで行くつもりか?物語は途切れ僕は俺に変わりそうになるが、あの子はなぜだか左右に揺れてポニーテールをベイスターズ野郎の陰から覗かせてくるのだ。何を聴いているんだろう。ベースボールベアーかな。ミセスだったらやだな。電車は川を渡り目の前には雲を携えた富士が見える。その大きさ、形の美しさは、使い古された表現にはなってしまうのだが、荘厳で畏怖さえかんじる。レモンスカッシュな君はこんな綺麗な街に住んでいるわけだ。どんどん歳をとって嫌なことが増えて嫌な大人になってしまってもここに戻ってきてこんな日々があったなって思い出してね。そんな君がいるはずって勝手に思えるだけで僕は救われるからね…。ひとしきりの勝手なベボベ物語の執筆にも飽きた。そもそも彼女みたいな可愛い子は多分同じクラスにいたら俺と喋ってくれないしなんならちょっと俺を馬鹿にしてるし嫌ってる。なんだよこの野郎、所詮顔がいいだけだろ。帰れ帰れ。と収拾がつかなくなってるところでちょうど女の子は降りてくれたので助かった。そして俺はまた隣のビール飲み爪噛み脚広げ貧乏ゆすりニキ地獄へと引きずり戻されるのだった。なんとか耐えきって熱海、13時07分。

このまま熱海でゆっくりしたいがまたしても乗り継ぎがギリギリ。13時10分、東京へ向けて乗り込む。熱海以東の車両は馴染みがある。まだ静岡なのにもう帰ってきた感じ。熱海からしばらくはずっと海沿いを走っていて、根府川なんてのは海がすごく綺麗に見える駅だった。海を眺めてものが多すぎる、もう少し捨てられたらと思ったり、思わなかったり。たくさんの乗客がバカみたいに海を眺めていた。何を思っているんだろう。東京に近づくにつれて人が増えて思ったのは、やっぱり東京の人ってある程度「洗練されてる」ということ。服装とか見た目に気を使う人が米原〜熱海間より明らかに多い。そして当たり前だけだけどみんな標準語でなんか安心する。14時47分、東京着。

15時05分、東京から常磐線に乗る。一瞬松戸に住んでいた時は必ず常磐線を使っていた。懐かしい気持ちになる。このまま実家に帰りたいがホテルをとってしまったので…。昼の常磐線とか武蔵野線とか東西線(地上)の空気が好きだ。空いていてゆっくりと進む車内には西陽が差し込んでいる。流れる景色も緑の多い郊外、自分が生まれ育った場所。揺れに眠気を誘われる。この空間が日本で一番siestaを感じる。siestaってなんだ?完全に座る位置を間違えて背中を西陽がジリジリと焼いている。暑い。16時08分土浦着。

20分ほど次の電車を待たなければいけない。何故かたくさん外国人が降りてくる。何かあるのか?ホームのベンチに座ってぼーっとしてると煙の匂いがしてくる。野焼きでもしてるのだろうか。実家の近くもこんな匂いがしてる時があった。

16時30分土浦発。周りには畑、田、県道、さびれたカラオケ。目を閉じてしばらくして開くと全く同じ光景が広がっている。近鉄で奈良を走るときと同じ感覚。つまらない街だ。17時21分水戸着。

17時35分水戸発。日もくれてずっと暗闇の中を走っている。景色が見えないとえらく時間が長く感じる。止まる駅は真っ暗で周りに何もない。きさらぎ駅ってこんな感じかなーってのが続いている。岩城に到着。

19時24分いわき発。変わらずきさらぎ駅。俺以外いない車両。持ってきた本を一冊読み終える。家族の絆なのか、ミステリーなのか、恋愛なのかもりもりでよくわからない話だった。

20時46分原ノ町発。もう少し。希望が見える。もうすぐ仙台に着く。ただただきさらぎ駅が続くばかりなので祈るか意識を飛ばすか妄想するしか手立てがない。けれども乗客は増えてあんまり怖くない。目の前にヤンキーが座ってやっぱり怖い。

22時08分ついに仙台に着いた。ただ椅子に座ってただけなのに歩くと膝が痛い。仙台駅の周りは京都より全然都会だ。繁華街には制服をきた女の人がたくさん立っていておじさんが値段を聞いていた。夜難波を歩くと感じる下品な臭い(ゲボとか)みたいなのはなくてそれは意外だった。

 

なんのために仙台に来たのか。なんのためにとかないのだ。仙台に行くということが目的なのだ。どこを見たい何を食べたい、正直何もない。2日目に何をすれば良いかわからなかった。とりあえず松島に行ってみる。松島は海沿いだし海鮮丼でも食べようかの思うが海沿いの店はどこもかしこも海鮮丼を出す。つまり店によって美味かったり不味かったり量が多かったり少なかったりが決まる。グーグルなんか見ればどこが評判いいかはすぐわかるんだがそれをやるのは「ずる」な気がしたので海鮮丼ガチャをやることにした。勘をしんじて適当に店に入るだけなんだけど。そしてはずれた。なんか刺身が輝いてなくて量も少なかった。めっちゃはずした。歩いてると牡蠣カレーパンってのが売ってた。美味しそう!わざわざ並んで買ってみたらカレーが強くてあんまり牡蠣感がなかった。60点。悲しい。もうこの二つでお腹いっぱいになってしまってリベンジもできなかった。午後二時、なんだか暑くて疲れ切ってしまったからカプセルホテルに戻る。六時くらいまで気絶していた。何か食べたくてとりあえず外に出たが、あろうことか俺はサイゼに入ってしまったのだ。変動の中にささやかな安定を人は常に求めているのだろう。なんてアンビバレンス!旅をしているからと一人で1300円も使ってしまった。美味かった。帰りに油そばの店を見かけて寄ってしまった。まあまあ美味かった。美味すぎもせず不味すぎましない、まあまあ美味かった(ななまがり初瀬)。

 

三日目、大雨。一日中雨。だが歩き回った。仙台城、仙台駅、東北大など歩き回ったが特に面白いものはなかった。歩いている間たくさんラジオを聞けた。昼飯に知人おすすめの牛タン屋に行こうと思ったが定休日。適当な牛タン屋に入って食べたが美味かった。ただ知人曰くおすすめの店は「レベルが違う」らしいので行けなかったのがかなりショックだ。4万歩ほど歩いて流石に疲れたが最終日のホテルをとっていなかったので快活に入る。カップルの利用が多かった。俺の隣のブースもカップルだった。音的に多分エロいことしていた。いいなー。うぜー。シャワーを浴びてカイジを読んでいたら八時前になったので街へ出た。夕飯はこれまたお勧めされた仙台っこラーメンってとこに行った。結構美味かった。最終日は始発まで飲もうと思いホテルを取らなかったのだが大雨だったのでなんだか気分が乗らなかった。ストゼロを1リットル飲んで強制的にアゲてく。普段は一人で知らない店に入るのは本当に緊張してしまうから避けているのだが、アゲたので何軒か回れた。明るい店暗い店、綺麗な店汚い店、ウェルカムな店なんとなく早よ帰れな店。色々あるがやっぱり俺はよそ者というか、ある程度店にいる人と喋ることはできるんだけどこの先交わることのない関係性だからこそお互いあまり踏み込まないみたいな。それが悲しく、心地よいようで、やはり寂しい。午前二時になればどこも閉まってしまったのでまた始発まで快活で過ごした。

5:30仙台発の電車に乗る。これまで来た道を戻るだけ。ゲボ吐きそうだったのでずっとトイレのある車両にいた。長いまばたきをすると気づいたら目の前にたくさん制服を着た子らがいて(ああ俺はみんなが働いている中で何をしているんだろう)なんて思った。逃避のためにまた目を瞑った。そんなことを何回か繰り返すと自宅近く、柏までやってきた。降りてみると懐かしい街並み。日高屋に入ってタンメンを食べた。まあまあ美味いという郷愁を求めていたのだと食べながら思う。実家の最寄りに着くと汚い街には似つかわしくない嘘みたいな青空が広がっていて俺は「嘘つけ」と呟いてしまった。実家の扉を開け、シャワーを浴び、寝転がる。実家の天井は高いな、小さい頃はしょぼい家だと思っていたが俺は将来こんな良い家には住めないんだろうなと思いながら目を閉じた。

 

文章量からも旅は目的地に向かっている時がピークとわかる。

旅、おわり

 

 

日記9/15

午前10時、カウンセリングに行く。俺は多分大丈夫。そんな大したことはないっぽい。ただ一人でお酒を飲まない方がいいですよと言われた。嫌なことをお酒で誤魔化そうとするくらいなら薬をもらって飲んだ方がいいですよと。だいたいどのくらい飲んでるのなんて聞かれてもそんなの計算してないし。

「まあ…朦朧とするくらいまで…」

「!…そしたら1L以上とか飲んでる感じですかね?」

数えてないが1L以上は絶対飲んでる。だって500mlの缶が2本だろう?そんなに酷いことか?

 

カウンセリングをした日の夜、家で一人酒を飲んでいた。脳細胞を殺しながらぼーっとYouTubeを見てたらアルコール依存の恐ろしさを伝える動画、岡田斗司夫が「人生の目標が幸福ってのがそもそも間違ってるんだよ」なんて説いてる動画なんかが目から体に染み入ってしまって洗い流そうと酒を飲む。スマホを投げて天井を眺めた。鈴虫が泣いていてもう夜はすっかり秋なのに俺はまだ夜もエアコンつけっぱなし。何もせずに1日が終わってしまうことへの罪悪感を誤魔化すために散歩に出た。一人でラジオを聞きながら歩いていたがまだ月の半分なのに通信制限になってしまって音が止まる。ヘッドホンを外して公園のベンチに座る。なんとなくタバコを吸ってみる。この世で一番意味ないものを、最近買ってしまった。今までもらうだけだったのに。夜の公園で一人タバコを吸っていると訳もなく悲しくなってくる。出来の悪い脳味噌はタバコを吸うことで起きる血管の収縮なんかを勝手に悲しみと結びつけてしまったんだろう。そして彼女に電話をかけた。電話が繋がるまでの間、永田とさきちゃんのことを考えてた。嫌なことがあった永田は久しぶりにさきちゃんと暮らすアパートに戻って、眠るさきちゃんのことを抱きしめる。そんな永田にさきちゃんは「私、お人形さんじゃないよ」と言うのだ。俺は、あれになってないだろうか。電話がつながった。京都の午前1時、パリは夕方6時。久しぶりにスタジオに入ったこと、ライブやだなー、俺って才能ないし、誰にも押されてないしさ、ホリデーとかさー、サーキットにも出れないしさ、全然ライブ人来ないだろうし、才能ないことが顕れてるんだよー。そんな風にもたれかかりすぎたら「治すべきはキタザトくんの歪んだ認知だよ」なんて言われてしまった。へへへ、さーせん。

アパートに戻ると外で立本が涼んでいる。なんだかが決まりが悪くて前歯を出しながらキモピース(キモいピースのことだ)をしたら立本は頷いてスマホを見てた。

 

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